今までの絵画教室としておりました家のことについて



           
   


2003年9月でした。こちらの物件を私、内覧いたしましたのですが 大変気に入りまして、すぐに契約をいたしました
その後、いろいろと整備いたしまして 現在も使用しております机や椅子などをはじめ…いろいろと備品なども少しずつ揃えまして
正式に2004年1月より絵画教室としてスタートさせていただきました
契約をしましてから その後 約12年後となります、2015年の8月末でした… お隣に住まわれます大家様より(取り壊すこととなり
来年の2月末あたりまでには申し訳ないのですが・・と)それまでに退去せざるを得ないお話をいただきまして、自身この先もずっと
変わらずにこの部屋、この空間にてやっていくおもいでしたし、なによりこの空間や家そのものも大好きでした故に 壊してしまうこと自体も
大変ショックでしたのですが・・ とにかく完全に頭のなかが真っ白になってしまい、そしてまたその後の物件につきましても とにかくなかなか
みつかりませんで…相当に難儀でした
そんな際、まさに年が明けますその前後でしたのですが 2015年12月…それもクリスマスも終わりましたタイミングにて 今の新しい
こちらの物件と私、出逢いまして その場にていろいろと考慮いたしました結果、意を決しまして契約をさせていただきました
すべてがまさにそこから開けて参りました次第でございます
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結果 2016年2月末日までは いままでの教室部屋、そして 3月の1日からは新しい教室部屋に、といった形となりました
ほんとうに自身も大変でしたのですが 皆様にはほんとうにいろいろとご配慮等々いただきまして、大変失礼いたしました
そして、いろいろとありがとうございました
※当初より私の自宅と絵画教室を別の場所としておりましたのですが こちらの新しい家を考慮致しまして「自宅と絵画教室とを一緒の形」
 とさせていただきまして、2016年3月1日より正式に絵画教室の新しい場へと移転…そしてまた そのひと月後となります2016年4月1日
 より、その2階を私の自宅(自宅の移転)といった形となりました

話を戻しますが、その大家さん(奥様のほう)と、たまたま2015年10月頃 お話できまして 私、いろいろとおききいたしましたところ
いろいろとお答えいただけました。「もう年齢も今年88歳ということもあってね、ほんとうに二村さんには申し訳ない気持ちでいっぱいなのです
が…身体もいろいろと不自由になってきてしまったこともあって この敷地内の家をすべて取り壊して、更地にして、売っちゃおうと
思っておりますんですよ。ごめんなさいね。ほんとうに」 なんてお話いただきました
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あと一週間ほどで退去、となります 2016年2月の末日のことでした
20代前半の生徒さんで Kくんという彼が教室に朝、入りました日です。彼は大学3年時にわたしの教室に入会されましたのですが
大学をを卒業しましたその後、東京藝大の大学院デザイン科環境設計研究室に晴れて合格いたしまして 修士課程の2年となります
2016年の春。そんななか、彼は約一年間 大学を休学し、インターンの形にて9月よりパリへといく決意をかためておりまして、それに伴い
『作品のポートフォリオ』を充実させたい、といったお話でしたが、そんな彼より突然、相談を受けました。
「実は建築物をひとつ決めて、それが取り壊される前とその途中経過、および壊された後、等々の経過を写真にて おさめたいんです
そんななか、この建物を是非とも可能であれば撮影し、自身の作品として残したいのですが…可能だったりしますでしょうか?」、と。
すぐにその後、ふたりでお隣の大家さん宅の呼び鈴を鳴らしまして 結果、大家さんは心地よく承諾されまして、大家様とKくんはお互い
連絡先等もその場にて交換もできましたようで スムーズに事が運びました、そんな印象でした
移転いたしました、2016年3月以降、自身は(勿論 実は今現在も私、与野駅界隈や、いままでのその家の前を通ったりして
おりますのですが)大家様とは それっきりといった形ですので、新しい今の教室に通われますKくんより その後の大家さんや そのいままでの
家の取り壊しにまつわる色々な話をいつも間接的にではありますが 訊いておりました。 そんななかです。2016年5月頃でしょうか…
それまでは普通に取り壊すお話もされていたようなのですが、あるときより「壊さない方向」が、なんだか濃厚のようだ、と、Kくんより。
大家さんの御身体のこともあるのかもですが、しかし・・ 多分、なんて話なのですが 今までのあの教室の木製扉から、その前の道路までの
その土地が、大家さんのものか否か・・・或いは 大家さんの土地ではなく、結果 その持ち主といった権利のあります両脇の家のかたと
もめており、結局取り壊す作業ができなくなっている、なんて状況のようですよ、と 彼
彼は結局、もう時間がないとのことにて、別の建築物に変更をしましたようで その後、2016年9月より パリへと移りました
(教室にも2016年6月にて一旦休会となります)

そんなこともありまして、多少なりとも『取り壊すか否か、等々・・そしてまた、それに伴いますお話の流れ』を自身知れましたこと、自身
良かったな、と思っております
今となっては 正直なところ、取り壊すか否か、といったことも含めて すべては大家さんが決めますことですし、新天地の場を大切にし
新たなるおもいで舵をとっていきたい、といった私ですが… やはり何人かの生徒様より『まだいままでのあの家、ありますよ!!』
なんてお話をいただきますこともありまして 二村の知る「現状」のほうを お伝えさせていただきたく、以上 記させていただきました次第でございます




2016年11月吉日  二村 潤




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正直なところ あの家・部屋・空間、大好きでした  取り壊されてしまうこと自体が悲しかった
ですが、まだそのまま残っている状況が今も続いておりますね

でも、今の家・今の場を大切に 変わらず邁進していこうと 強く私 思っております





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2021年11月でした。
ある生徒さんより「ついに取り壊され、無くなってしまいましたよ」… なんてお話を伺いまして その後自身、実際にそちらへと出向きますと
やはりその通り、無くなってしまっておりました。
正直な私の気持ちですが『今までのひとりひとりの生徒さん皆さんと重ねてきました、たっくさんのたからもの・今までの時間が 無くなってしまった』
・・そんなおもいとなりました。
実際に ほんとうに無くなってしまった現状を目の当たりにし ぽっかりとこころに穴があいたような、そんな感覚です

でも。
場所は変われども、今も続いているんです。そして、立ち上げました当初からの私のおもいは、まったく変わってはおりません。
ものは、時間の経過により いつかはかたちを消していく。 ですが、こころに残るものは ずっとずっと残っていきます。


作品も、一作一作 唯一無二
かけがえのない、たからもの

自身、それに補佐出来ていかれますよう
これからも、変わらず 励んでいきたいおもいです





2022年10月吉日  二村 潤